今日はチョット真面目なお話

今日はチョット真面目なお話

私は高崎量子応用研究所(原子力研究所)のすぐそばに48年ほど住んでいます。

東日本大震災の際に真っ先に稼働したモニタリングポスト。といってもコバルト施設の為のモニタリングポストです。

高崎量子応用研究所の歴史は私とほぼ一緒。原子力研究所と共に生きてきたと言っても過言ではありません。

小学校には放射線を照射したじゃがいものホルマリン漬けが置いてあったし。コバルト60の貯蔵プールも見学に行きました。

 

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旧陸軍の塀はしばらく使用していたと思います。

私幼少期遊んでいましたから・・・・・

もう一つの顔CTBT包括的核実験禁止条約 東日本において非常に重要な施設なのです。

CTBTとして採取したデータはジュネーブに送られ、活用されているとの事です。

これ以上は私にはわかりません。

中曽根康弘元首相がやはり登場します。当時科学技術庁長官。なんとしても誘致したかった。

東海村と争ったとか?高崎市の誘致圧力は凄かったみたいです。

当然『平和利用』が大前提ですが・・・・

だから『歓迎ムード』で原子力研究所が出来たというお話は聞いた事があります。

それから東日本大震災まで高崎量子応用研究所の安全性等のアナウンスは一度もなかったですね。

震災後、原子力開発機構の風当たりが強くなってから『お祭り』とか始めちゃった次第です。

で震災後のCTBTのデータは全てインターネットで配信されています。

高崎量子応用研究所で働いている地元の方も多いですが、ほとんどが独立行政法人の孫請けの会社ですね。

でも『廃炉』に40年掛かるという事は皆さん十分承知していますので定年まで引き算すると安全なんですね(笑)

独立行政法人なんですよね。日本原子力開発機構って情報公開開示請求してみましょうか?

私は原子力を否定はしません。ただ『福一』で払った代償はあまりも高すぎると感じます。

川はずっと水が流れているのですから水力発電は可能だと思います。

太陽光発電は既に成り立ちつつあります。

風力発電やっているところ行くと回っていないとき多いけれどこれも電力。

電気は貯められないというけれど大容量が蓄電出来ないという事で、これから技術は進歩するはず。

東日本大震災からまもなく3年。いろいろ考えさせられますね。

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