記憶の限界

記憶の限界

私は4半世紀以上生きています。

理屈上、私の記憶の過去は最大で52年分のわけですが、生まれて間もなくは当然記憶がないとして・・・

昨日のブログで綴った『柵』ほぼ記憶の限界ではありますがはっきり覚えています。

↑この場所は旧火薬所の南側の物ですが、私が知っているのは国道354号線に面した旧原子力研究所の北側。

今はフェンスが張ってありますが45年以上前はこの柵でした。

どうして『柵』にこだわるかと言いますと・・・

高崎原子力研究所が設置されたのは、1963年、私が誕生したのが1966年。そしてこの柵の記憶は1970年~1972年かと・・・

私が保育園児だった頃、この柵で遊んだんです。ストリートビューで見ておわかりのように、イビツな作りでしょ(^.^)

イビツな柵の隙間の広がっている所から進入するんです。でも広がっている所でさえ、この隙間を通り抜けられるのは数人の友達の中で、「ボク」だけ(^.^)

優越感に浸りましたよ。中に立ち入って何をするかって、入るだけなんです。中は原生林みたいなものですから、入ったって怖いだけ。でも「冒険」です。

石を拾ったり、枝拾ったり・・・楽しかったなぁ(^.^)

そんなわけで、旧火薬所の柵、私にはこだわりがあります。

当時、スバル360 ダイハツミゼット 走っていましたね。

旧火薬所といえば「群馬県の県立公園にある戦時中に動員され、県内で亡くなった朝鮮人労働者を追悼する碑」があります。

この歴史的背景は私は詳しくありませんが、私のおばあちゃん、幼少期に「夜道は出歩かない事」と親から厳しく言われていたそうです。

深い話ですね。

で、旧火薬所の敷地内には歴史的価値の高い古墳もありました。岩鼻ニ子山古墳

我が家近辺は「綿貫古墳群」といって古墳の宝庫です。

群馬県立歴史博物館の方とお話しする機会があったのですが、戦前に発掘された古墳の出土品は「国」に押さえられています。

戦後、発掘された古墳の出土品は群馬県で管理できると・・・

だから観音山古墳の出土品は歴史博物館で展示可能なそうで・・・

そろそろ、私も「生き字引」の仲間入りでしょうか?(笑)

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